■自転車旅行やマラソンを愛した自分にとって理想の老後が待っていました

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉近藤光男様(76歳)

(子供の頃からの夢は冒険家になって世界を旅すること)izu_happytime25.jpg

冒険家になって世界を旅することが子供時代からの夢でした。家族を守りながら自由な旅を可能にするには、福利厚生がしっかりした大きな組織で仕事をする必要があると考えて、本社が東京・丸の内にある大手に勤務し、その後も地方公務員として働きました。おかげで学生の頃から始めた自転車で、コペンハーゲン~パリ、カサブランカ~リスボンとか世界中を周りました。モロッコでは盗賊に遭遇し怖...

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■妻が残したもののおかげで入居できました。気さくな入居者の友人にも恵まれました。

佐倉〈ゆうゆうの里〉園田良一様(78歳)

(学園の寄宿舎の管理責任者として生徒のために)sk_happytime25.jpg

もともと板前の仕事をしていましたが、本格的に自営をしたいと定食屋さんを始めました。お店の前に中高一貫校の学園があり、体育会系の試合があるとお弁当の注文が入るようになったんです。他校の分も含め100個、200個と監督の先生がうちに注文してくれました。多い時は500個、もう徹夜ですよ。そういう繋がりができたお陰で売上を伸ばすことができました。それで20年ちょっと。50歳の時、今度は学園側から...

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■両親への感謝を胸に、自立する女性を目指し生きて来ました。今、安心して好きなことができます。

神戸〈ゆうゆうの里〉入江八重子様(85歳)

(家族で疎開した兵庫県三田市でゼロからの出発)kb_happytime25.jpg

7人きょうだいの4番目として東京で生まれました。父は貴金属の彫金師です。父が彫った指輪やネックレスの作品を母から譲り受け、今でも大切にしています。私が幼稚園の頃に戦争が始まり、防空壕避難を何度も体験。6歳の時に東京大空襲があり、着のみ着の儘母の親戚を頼って兵庫県三田に家族で疎開しました。三田市は戦争とは無縁で穏やかな風景に癒されました。しかし、東京は更なる空襲で実家は全焼。家族は...

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