2025年4月

いつか子供達の前で宇宙の話をしたい(春夫様)。傾聴ボランティアにも挑戦したい(ひろみ様)

浜松〈ゆうゆうの里〉能瀬春夫様(88歳)・ひろみ様(84歳)

(父の背中を追いかけて辿り着いた種子島のロケット打ち上げ)hm_happytime26.JPG

春夫様 名古屋生まれで、父と母と5人兄弟。私は上から二番目です。戦時中の鈴鹿には飛行場があり、飛行機整備士の父と私たちは鈴鹿で暮らし、終戦を迎えました。私が小3の時でした。鈴鹿の飛行場は閉鎖。父は小牧飛行場で飛行機を作ることになり、私たち家族は名古屋に戻りました。私は父のように飛行機を作りたいと、名古屋の大学では工学部機械科に学び、卒業後は新三菱重工・航空機製作所に就職しました。...

続きはこちらから

検討を始めてから覚悟を決めるまでは早かったです。おかげで一人暮らしの不安から解放されました

大阪〈ゆうゆうの里〉 福嶋 桂子 様(70歳)

(守口の支店に長く勤めました)os_happytime26.JPG

両親と兄の4人家族で育ちました。父が転勤族だったため、私は東京で転校・引っ越しを繰り返した後、高校最後の年に関西に戻りました。チームプレイや体を動かすことが好きで、中学から高校までバスケットボールをしていました。転校先では勉強範囲が違ったりして、追いつけるように必死で頑張りました。大手の銀行に就職し大阪駅前に勤務。その後、守口の支店に転勤となり、守口の勤務が一番長くなりました。...

続きはこちらから

施設の中はもちろん町や自然の中にも、至る所に出会いの可能性が

湯河原〈ゆうゆうの里〉 北村 雅俊 様(74歳)

(「航空会社に入る!」と有言実行)yg_happytime26.JPG

東京浅草の出身。小学校4 年の時、父の転勤を機に家族で北海道に引っ越しました。中学生になる時父の次の転勤が決まりました。父は私に「北海道に残った方が良い」と言うので、中学校一年から函館の下宿生活を体験しました。
高校時代はフォークソングのバンドを結成、ギターを担当。友人にも恵まれ楽しい青春時代でした。
大学卒業と同時に航空会社に就職しました。...

続きはこちらから