神戸〈ゆうゆうの里〉

残された人生、生きてきた道を思い出しながら楽しいことを見つけて前を見て行きます

神戸〈ゆうゆうの里〉矢葺 好子様(82歳)

(私も主人も4人きょうだい)kb_happytime22.jpg

兵庫県の相生生まれです。4人きょうだいの末っ子。長男の兄とは16歳年齢が離れていたので、子供の頃は兄嫁が私をすごく可愛がってくれました。兄嫁と一緒によく料理をしました。主人は4人兄弟で長男。結婚してから主人の現役時代は、仕事の関係で9回の引っ越しをして、色々な地方の食べ物を知りました。主人の実家とは離れていても、姑に対する嫁の気遣いが求められました。私も...

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40年暮らしたオーストラリアを離れ、老後は日本と決めました

神戸〈ゆうゆうの里〉林 幸一様(75歳)

(オーストラリアは技術者としての僕を大事にしてくれました)kb_happytime20.jpg

父は海外航路の船員で3カ月に一度位帰ってきました。今思えば父の影響で海外を身近に感じていたのでしょうね。35歳でオーストラリア移住を考えました。当時の日本はバブル景気。残業や休出が当たり前という働き方に疑問を感じたことがきっかけでした。オーストラリア政府が技術職の移民を募集していたのです。娘が4歳...

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別々の部屋で暮らしていますが、それぞれ好きなリズムで暮らせて快適です。

神戸〈ゆうゆうの里〉金子 博俊様(75歳)・たづ子様(71歳)

(結婚してから分かった視覚障害を主人に受け入れてもらって)kb_happytime18.jpg

たづ子様 主人とは叔母の紹介で出会いました。当時主人は千葉県在住、私は北九州という遠距離の交際を経て結婚しました。結婚して4年位経って、私に網膜色素変性症という視覚障害があることが分かりました。その時に私は離婚して施設に入ることさえ考えて、主人にもそれを伝えましたが、「重荷ではないよ」と言われたおかげでふたりで再出発ができました。

博俊様 僕は...

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「穏やかに、明るく、前向きに」僕は生きていこうと思う。ここには、それが実践できる雰囲気があった

神戸〈ゆうゆうの里〉林 宏恭様(81歳)

(ワンゲル部で培った粘りで仕事も全力で頑張りました)kb_happytime17.jpg

大学では厳しいことで知られるワンダーフォーゲル部に入部しました。雪山登山では2日~4日間で必要な装備は、スキーも含めて一人当たり60㎏位になり、その荷物を担いで登るには体力づくりが不可欠です。2年生から4年生の間、毎年行った青森・八甲田山の雪山登山ではマイナス28度になる雪道を踏破、生死をかけるような体験をしました。仲間と...

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子どものころから人生を見失わないように努力をしてきました。私の一生懸命が、今報われていると実感しています

神戸〈ゆうゆうの里〉中井 好子様(80歳)

(母の頑張る姿を見て芽生えた自立心)kb_happytime16.jpg

兄二人の末っ子でした。父は戦地に行ったまま亡くなったので会ったことはありません。歳が離れた兄が父みたいな存在でした。母は子供3人を育てるため、家業の百姓一筋。そういう母の頑張る姿を見ながら育ちました。外でよく遊び、よく笑う子供でした。いつのまにか「ケラ子ちゃん」というあだ名がつくくらい。仲よしの友達が炊事を手伝っている子で、その子にご飯の炊き方を...

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入居して健康の不安から解放されました。まだやりたいことが山積みです

神戸〈ゆうゆうの里〉西村 隆男様(79歳)kb_happytime14.jpg

(気丈な母の記憶)

父は僕が一歳の時に戦死し、以後母と二人暮らしで育ちました。小さい頃からスポーツよりも工作などの方が好きでした。中学校では工作部に入り、かまぼこの板から船や蒸気機関車、本立てなど作っていました。写真も好きで、叔父に借りたマミアシックスというカメラで、京都の街並みや古い家を撮るのが好きでした。母の記憶といえば、僕が夜に目を覚ますと、いつもシンガーの足踏みミシンを踏んでいた姿を思い出します。母は洋裁で...

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健康に留意し「日日是好日」の気分で平凡な日々を楽しみたい

神戸〈ゆうゆうの里〉鳥井 利治様(71歳)

(職場の人間関係も大事にした仕事人間)kb_happytime12.jpg

5人兄弟で僕は末っ子。兄が一人、姉が3人います。両親が共働きだったので、かぎっ子でした。二番目の姉が特に母親のように面倒を見てくれました。就職後は、工場勤務時代があって、EDPと言われるコンピュータシステムの開発や運用を担当しました。学校でプログラムを習ったこともなく、自分で猛勉強をして給与計算のプログラムを作成しました。その後の..

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青森で生まれ、いわき市で暮らし、神戸に来ました!

神戸〈ゆうゆうの里〉大隅 正司様(75歳)

(自分にぴったりだった"いわき市"の暮らし)kb_happytime10.jpg

青森県出身。父が漁師の家庭でした。就職し9年ほど経った時に福島県いわき市に転勤になりました。気候も海や山が近い事もすべてが最高だと思い、そこに自宅を購入しました。素潜りやスキーが趣味の自分にぴったりの天地でした。いわき市には38年間住みました。60歳で定年退職してからは趣味を楽しんだり温泉に行ったり。三度の食事を作るのも...

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ごめんね。元気になったから、もうしばらくそこには行けないよ

神戸〈ゆうゆうの里〉久軒 惠一様(73歳)

(両親との同居を承諾してくれた妻)kb_happytime8.jpg

私の家は自分と妹、伯父の家も姉と妹、というように久軒家で男の子は自分しかいませんでした。実家は自由な家風でしたが、後継ぎとして母からはきっちり躾られ育ちました。ですから強要されたわけではないのですが、自ずと両親と同居は当たり前と考えていました。ありがたいことに妻も賛成してくれ、自分達夫婦と両親の4人家族の生活が始まりました。仕事はハードでしたがそれでも頑張れたのは妻のおかげです。会社は...

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夫を亡くして娘に頼ろうとしている自分にハッとしました。〜今は自分の時間を自由に使えることが嬉しい〜

神戸〈ゆうゆうの里〉尾崎 悦子様 (70歳)kb_happytime6-2.jpg

(夫の突然の死にしばらく呆然と)

主人が72歳のとき大腿骨骨折で入院しました。車椅子を使っていましたが、まっすぐ進まない。それでみていると片手が動いていなかったのです。お医者さんに詳細に調べてもらうと、ステージⅣの肺がんと診断されました。病状は思いのほか早く進行し、骨折入院から2ヶ月ほどで亡くなってしまいました。全く予期せぬ事態に、お葬式が終わってからというもの、朝起きて気が付くと仏壇の前で1時間ぐらい座っていました。ぼーっとしていることが多くなりました。私は3姉妹の長女だったので、今まで精神的に人に頼ることはあまりなかったのですが、この時ばかりは...

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『これからも、心を伝える表現者でありたい。』

kb_happytime4.jpg神戸〈ゆうゆうの里〉 青地 能里子様(67歳)

(歌の道に入ったきっかけ)
高校卒業後の進路を決めるとき、好きな劇団があってそこに行きたかったのですが、医師だった両親から役者は許してもらえませんでした。幼少の頃からピアノを習っていたこともあり、音楽の道なら良いと言われたので音大の音楽教育科に入学しました。卒業後、自分が歌を歌うなんて考えてもいなかったのですが、この時から私は歌を歌って、声で何かを表現する人生になりました。・・・。


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『アクティブシニアとは私のこと』~シルバーカレッジのテーマを追求して北欧まで~

神戸〈ゆうゆうの里〉 堀江 紀代子様(78歳) 堀江さん顔写真.jpg

(男3兄弟の総領娘という存在)
 末っ子の弟とは13歳違うのでよく子守をし、他の弟たちとも遊んだり行動を共にしたりして面倒をみました。弟達が家庭を持ってからもお互いに困ったことがあれば援助をしあったものです。母親が亡くなってから年に1度、3組の弟達夫婦を一泊旅行に誘っています。弟の嫁も、嫁というより妹の感覚。彼女たちもよく私のことを気にかけてくれ、私が喜寿の時には、弟達が旅行に招待してくれました。子供の頃は両親の兄弟の家によく泊まりに行き、従妹達と楽しく過ごしていました。兄弟は仲良くするもの、助け合うもの・・・。

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『それぞれの楽しみを満喫できるのも、お互いの協力と感謝があってこそ』

神戸〈ゆうゆうの里〉 戸田 文章さん(70歳)・久仁子さん(70歳)kb_voice44.JPG

(現役時代からボランティア)
 転勤族で国内外合わせて15回、引越ししました。子供が小さいうちは家族揃って引っ越したので、子供達にはかわいそうな思いをさせてしまったと思っています。反面、いろいろなところに住んだので環境に慣れることが苦にならず、どこでもやっていける自信がつきました。
また国内外で仕事をして思ったことは、「これから日本は少子高齢化が進み外国人が日本で働くようになる。だから外国の人に日本のことを知ってもらい理解してもらいたい。そのためには・・・
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⽬指すは "⽣涯現役薬剤師"

神戸〈ゆうゆうの里〉 田中 潤子様さんkb_voice43.jpg

薬学部を出て県庁で5年間働きました。結婚、子育てで仕事をやめて家庭に入りましたが、子供が中学校に上がる頃再び働こうと思いました。神戸には大正6年に日本のGNPの1割を売り上げた世界的な総合商社「鈴木商店」がありました。その主力になっていた薄荷事業と屋号を引き継いだ「鈴木薄荷」で、管理薬剤師として蒸留時の純度を分析する仕事に携わりました。純度が日によって変わる仕事はおもしろくやりがいもあり、一生懸命働きました。働くにつれこの会社の一員であることが喜ばしくなり、自社製品を見る度自分もこの中に関わっているのだととても誇らしい気持ちになり、今でもその気持ちは変わりません。約40年勤め70歳近くなったとき一旦退職しました。しかし...

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「悔いのない人生の秘訣は その都度の『決断』にあり」

池田様_顔_1_加工_5.jpg神戸〈ゆうゆうの里〉池田規久夫さん

一応裕福な家庭で育ち、国立大学を卒業後、工場に勤務、と順風満帆な人生でした。しかし20代の半ばに胸をやられ喀血してしまい、仕事を辞め入院生活をせざるをえなくなりました。当時は不況で賃金も3回に分けて支払われる世情、回復しても、胸を患って1年以上も療養した者が就職することは大変難しいことでした。そんな時支えてくれたのは家内です。家内とは毎週土曜日、御影の知人宅で開かれるダンスパーティで知り合いました。10歳年上で、よく言うフィーリングが合い(実はひと目ぼれ)、だんだんパーティ以外でも会うようになっていました。・・・

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「60代の今、穏やかな暮らしを手に入れて」

2P内藤様写真3_5xxx.jpg神戸〈ゆうゆうの里〉内藤明美さん(67歳)

人生の大半を母とふたりで暮らしてきた。母は私を産んだ後、理由あって離婚。実家に帰った。祖父母はよくしてくれたが出戻りは世間の目が冷たい時代で、母の兄弟や従妹からすれば私達は余計ものだった。従妹からこんなことを言われたと泣きながら訴えても、いつも母からは「ガマンしときや」が返ってきた。国鉄で働いていた母は、持っている服は1枚だけ。夜のうちに洗濯し、朝それを着て出かけていた。中学生になってから、母娘だけの二人暮らしを始めた。・・・

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団塊世代、ひとつの選択

神戸〈ゆうゆうの里〉土弘佳男さん(65歳)・眞理さん(66歳)kb39.jpg

現役時代、転勤族だった私は、53歳の時、早期退職を決めた。子供も独立し、幸い"自由の身"となる環境になり、故郷神戸に戻ることにした。こうして人より10年早くシニアライフを迎えることになった。学生時代から、カンツォーネに夢中だった私は、長年の夢であったイタリアを中心にヨーロッパ旅行をはじめ、色々なところに妻と二人で旅行を満喫することができた。私の父は明治生まれであったが、仕事柄、考えは非常に進んでいた。当時世間で知られ始めた有料老人ホーム・・・

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人生の最後を輝かせてくれるホームに入りたかった

神戸〈ゆうゆうの里〉平田道子さん(75歳)kobe38.jpg

47年間、仕事に打ち込んできた私は、いわゆる「おひとり様」。65歳で無事定年退職を迎えてからは、「老後の住まい選び」が私に残された人生の課題となった。その間母を95歳まで介護をした。母は嚥下状態が悪くなり、やむなく療養型病院(サラモーレ)に4年間入院し、ミキサー食となった。だんだん弱っていく母の姿を見て、自分も同じようになるかもしれないと思うと、とても不安になった。母には私がいたので良かったが、自分は子供がいないので絶対にホームへ入居しなければと強く感じた。・・・

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「日々の暮らしは感謝とともに」

國本様.jpg神戸〈ゆうゆうの里〉國本壽代さん(82歳)

阪神間8ヶ所の施設を主人とふたりで見学し、最後がゆうゆうの里だったの。廊下がきれいで、ちりひとつないのにはびっくり。主人は陶芸が好きで、陶芸のために播磨に山荘を建てて神戸の自宅と行き来していたぐらい。教室でも10年間教えていた。だから、陶芸ができるここを大変気に入ったの。入居してからは、陶芸を楽しむのはもちろん、気候の良いときはふたりで遊歩道を歩いたりしてゆったり里の生活を送っていたの。・・・

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「毎日を精一杯楽しむ」

卒業旅~1 - コピー.JPG神戸〈ゆうゆうの里〉野口康子さん(74歳)

69歳で宮崎県から引越ししてきて6年目を迎えています。主人とその土地の人柄や雰囲気に惚れ込み「老後も住み易いようにと建てた家」に住んでいました。ところが思いがけず早く主人に先立たれました。葬儀をすませた夜に倒れてしまい、近隣の方やたまたま通りかかった医師に助けられました。一人暮らしとなり、元気かどうかの確認に「朝起きたらカーテンを開けてね」と近隣の人達に優しく見守られながら生活をしていました。でも、いつまでも皆の世話になって暮らす訳にはいかないと・・・

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「ここに来てほんまによかった」

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神戸〈ゆうゆうの里畠山繁男さん(81歳)・一美さん(77歳)

神戸〈ゆうゆうの里〉の自然環境の良さ、そして何より介護体制の充実が気に入り入居を決めました。そんな私達も入居前にとても悩んだ問題がありました。"山の会"の集合が「早朝で大阪近辺」であることです。神戸からだと、随分早くに家を出なければいけません。そのことが、私達にとって大きなハードルでした。何度も見学・体験入居を重ねて気持・・・

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「ゆうゆう生活30年!!」

kbv1309.jpg神戸〈ゆうゆうの里古澤伸世さん(95歳)

入居当時は、平均年齢が60代後半!!みんなまだまだ元気で、私もよく三宮・大阪・京都まで映画や美術館・音楽会、そして買物などと出掛けました。里内では「謡曲サークル」へ入部し、毎週和室に集まり仲間と楽しみました。時々街の能楽堂へお能鑑賞に。ベテランの先輩の方々が次々と逝かれ自然消滅。今も和室の前を・・・

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食事と環境 ゆうゆうの里がどこより素晴らしい!

kbv1209.jpg神戸〈ゆうゆうの里相谷末子さん

実はゆうゆうの里で3箇所目の終の棲家になります。1箇所目は、新設の某有料老人ホームに魅せられて入居。食事は、当日食堂に行って和洋中を選ぶ事ができる所でしたが、どれを食べてもイマイチ・・・有名温泉と同じ泉質の大浴場も魅力でしたが、循環式でぬるく、8割ほどの湯量・・・

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もう10年前から住んでいる気分です

kbv1204.jpg神戸〈ゆうゆうの里吉野清嗣さん(69歳)

入居検討のきっかけは、一人暮らしだったので何かあった時に、息子には迷惑をかけたくないと思って66歳からホーム探しを始めました。ゆうゆうの里は、長年の実績と、共用施設が素晴らしい事に魅力を感じ、その上、ランニングコストが安い!入居金よりも、これから元気で長生きしていく上で、やはり毎月の支払は・・・

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ここで暮らして大正解

kbv1201.jpg神戸〈ゆうゆうの里川口史郎さん

65歳で仕事をリタイアしてゆうゆうの里に入居し、今年で米寿を迎えます。子供がなく、人には迷惑をかけたくないという強い思いがあり、55歳くらいからホームへの入居を考えはじめました。ホームを検討する決め手は三つ。①医療②食事③日当たりでした。そして、町にでやすい所・・・

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入居してからできたお友達と毎日を楽しんでいます

kbv1109.jpg神戸〈ゆうゆうの里佐藤豊さん

入居までは出身地の舞鶴で過ごしておられ、神戸に土地勘はありませんでした。今は入居されて4年が経って三宮の百貨店くらいはおひとりで行けるようになられましたが、入居当時は右も左もわからない土地なので、お友達に付いて行くのがやっとで、お一人で電車に乗って・・・

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行事に夢中で一年なんかあっという間

kbv01.jpg神戸〈ゆうゆうの里岩田 睦さん

平成11年に入居以来健康にも恵まれ幸せな毎日を送っています。元来趣味が多い上、皆さんに喜んでいただくことや共に笑って暮らすことが大好きなので、行事のときはいろいろな役割をいただきます。節分のときは大黒様の役を演じますがまさにはまり役、皆に福を授けるお多福様と一緒に「笑う門には福来るワッハッハ、オッホッホ」と繰り返します。そのほかにも「バス旅行」「夏祭り」創立記念日の「ゆうゆう劇場」「文化祭」「餅つき大会」と私の出番はめじろ押しです。次はこうしよう、ああしようと考えているうちに一年はあっというまに過ぎていきます。毎週参加しているヨーガや老化防止体操の効果もあり、皆に83歳と年齢を言うと驚かれます。このまま喜びと感謝の暮らしを続ければ100歳は大丈夫、と自分では確信しています。